水俣病事件研究交流集会

第14回水俣病事件研究交流集会を開催しました。

第14回水俣病事件研究交流集会を2019年1月12~13日に水俣市公民館で開催しました。
両日とも160人の参加がありました。研究者だけでなく、現場の医師、弁護士、水俣病患者、支援者、大学生・院生らが参加し、報告に対し活発な意見交換、質疑応答ができました。今回も、新潟、埼玉、東京、神奈川、愛知、大阪、神戸、滋賀、京都、岡山、山口、九州各地から、また、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科からブータン、インド、インドネシア、タイ、エチオピアなどの留学生も参加があり、国際的な場ともなりました。
報告は、人文学から医学、汚染サイトの問題、訴訟など多岐にわたり、15の報告がありました。初日に予定していた「映像で振り返る 石牟礼道子の世界」吉崎氏は、体調不良のため、報告は中止となりました。水俣病の人文学では、「新村苑子氏の『葦辺の母子 新潟水俣病短編小説集Ⅱ』について」後藤氏、「漁村での10年 -見えたこと、見えなかったこと-」飯島氏は9回目の報告、「『暮しの手帖』のなかの公害―1967年秋号の特集記事が描く水俣病」池田氏が報告しました。水俣病の医学では、「胎児性水俣病患者さんの日常生活動作(ADL)の変化」頼藤氏、「水俣病互助会訴訟の医学論争点」三浦氏、「不知火海・水俣対岸地域におけるメチル水銀の健康影響」高岡氏と医療と訴訟の現場に即した報告がありました。汚染サイトとしての水俣では「日本における水銀規制の現状と今後の課題」中地氏、水俣市でも問題になっている「水俣川河口臨海部振興計画の問題点」山下氏から報告がありました。2日目は、水俣病訴訟の今として「ノーモア・ミナマタ第2次訴訟の現状と課題」高峰氏が熊本水俣病の訴訟について、新潟からは「新潟の三次訴訟高裁判決の誤り、行政訴訟高裁判決と比較して」萩野氏が報告をしました。水俣の過去と現在では「1968年三資料(市民会議発足ビラ、恥宣言、政府見解)紹介」矢作氏、「現地研究センター資料からみえる守山工場(日窒アセテート)労組と水俣との関係についての一考察」大門氏・籾木氏は初めての報告、「「もやい直し」の現代的意義を再考する」除本し・尾崎氏から報告がありました。最後は、水俣の歴史と水俣病として「史料でみる近世の水俣-船津村の位置づけをめぐって-」矢野氏は初めての報告、「水俣避病院と水俣病差別」花田氏が報告をしました。最後まで濃厚な質疑応答、意見交換ができました。

次回は、2020年1月11日(土)~12日(日)に開催予定です。

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