つれづれ時事寸評23 「児童の相談」の始まりと展開の研究から 本研究所研究員 山崎 史郎(教育心理学) 「児童の相談」の始まりと展開  今、我が国心理学者による「児童の相談」の始まりと展開の研究をしている。「つれづれ時事寸評」のコラムには全く相応しくない話題であるが、我が国心理学者は1916(大正5)年以来、途切れることなく「児童の相談」を実践してきた。他職種では医師、教師、社会福祉関係者らがこの仕事を進めてきている。この分野で著名であるのは医師三田谷啓で、1918(大正7)年、我が国最初の公立児童相談所を大阪市に開いた。それは大変画期的で立派な仕事であるが、感心するのはその直後、地方でも児童相談所が開設されていることである。1920(大正9)年静岡コドモ相談所、同、淳心園児童相談所(長崎)がそれで、それぞれ仏教寺院と児童施設に付設されている。当時、大都市でもそうだが地方には「児童の相談」の専門家がいる訳もない。また、根拠とする法もなく、財政支援もない。大阪市児童相談所については児童関係の雑誌で紹介されていたが、まだ実績もない頃のことである。しかし、人々は子どもたちの置かれた状況を座視することができず、「児童の相談」の仕事を始めたのであろう。当時は第一次世界大戦の戦時需要の好景気から一転した不景気の時代で、米騒動や労働争議が頻発した。貧困問題は深刻で、乳児死亡率の改善が大きな課題であった。後に児童相談所が乳児への牛乳配布事業を行ったりした時代である。相談所のいくつかは後ろ盾のないことから早くに廃止されてしまったが、積極的な仕事が評価されて相談所の設置数が増加し、戦前「児童の相談」の頂点である東京文理科大学教育相談部及び愛育研究所相談室に繋がっていく。 「児童の相談」、開始100年後の現在  翻っておよそ100年経って、現況は如何であろうか。心理学における「児童の相談」の先駆者久保良英は広島文理科大学教授の傍ら広島県社会事業協会児童相談所の心理部門を一人で担当した。1922(大正11)年から太平洋戦争の時期まで、年間約100件の相談を受けた。一方、平成30年度、同県での相談は児童虐待だけで県、市合わせて4019件である。児童相談所は4箇所あり、配置職員数は児童福祉司だけでも71名になる。県人口、子ども数、児童虐待の判定基準、そして何よりも人々の問題意識の違いからこのような差になっているのだが、これをどう見れば良いのだろうか。  筆者は臨床心理士としてスクールカウンセラーの仕事を20年以上も務めてきた。この間、子どもの関係者の対応も大幅に変わってきている。かつてはいじめ問題はいじめられる側にも問題があり、いじめている子どもたちを叱責注意して解決したとされていた。子ども虐待問題では保護者との関係維持のため、例えば児童相談所職員が校内で児童生徒に事情を聞くことにも及び腰だった。今では「いじめ」という言葉が出たら緊張感をもって校内での情報共有、対策が取られる。子ども虐待については、学校から数多くの虐待通告が来る。新聞など報道、インターネットでの発信が世論を動かして法整備が進み、電話相談が整備され、さらに地域や学校での研修により、子ども虐待やいじめへの対応の仕組みが築かれてきている。確かに進捗があったと認められる。もちろん、それでも行き届かないことはあり、避けられたはずの子どもの死や重大被害が起こってしまう。高圧的に振る舞う保護者の前に子どもが必死の思いで書いたアンケートを見せてしまうなど、「なんでなの。」と思わざるを得ないこともある。  ともあれ、「児童の相談」は100年の内に大きく変わってきた。扱われる問題、相談の方法、「児童の相談」に対する社会の評価は変わってきている。例えば大正年間では、旧制中学校への進学の可否、落第・学業不振が親の心配ごとであった。戦争前には「天皇陛下の御子である子どもたちの知能を測定するなど不敬である」との誹謗も受けた。現代ではSNSいじめのような問題に対処しなくてはならない。以前はスクールカウンセラーとして務める学校の生徒が集まる学校裏サイトを見つけることができたが、今ではSNSでメンバーが制限されて探すことができない。これからも子どもたちの問題はどんどん変わっていくし、何とか対応して行かなければならない。 相談は人がよりよく生きていこうとする、そのことを支える仕事  「児童の相談」の一環で県警本部少年課の被害少年等カウンセリングアドバイザーを務めてきたこともあって、現在、県の犯罪被害者等支援懇話会の座長をしている。県や市町村の犯罪被害者救済、支援策について弁護士、法学関係の教授、犯罪被害者支援センター長らメンバーで話し合い、県に提言をまとめていくものである。犯罪被害者支援は大切な仕事で、例えば経済的支柱である父親を失うとか、若い女性をはじめとして性被害で深刻な問題が起こるなど、本人、家族あるいは遺族への影響は計りしれない。「児童の相談」では深刻な犯罪被害を扱うことはあまりないが、刑事事件化されるべき悪質な子ども虐待、非行として扱うことが適当ないじめ事件にも対応できるように熟達していかなければならない。被害者が子どもである場合、特に配慮する必要がある事項があるからである。「児童の相談」の経験、知識が生きるからということで、子ども虐待死事案の検証、いじめ重大事件の第三者委員会委員も務めたが、やはり相談は人がよりよく生きていこうとする、そのことを支える仕事である。子どもたちの訴えをきちんと聴いて、共に考えてくれる人として信頼されるようなあり方をこそ探していく必要がある。心ある多くの人々がそれぞれの立場から、子どもたちの幸せを願って行動している。「児童の相談」を仕事とする者も、それに連なるものでありたい。