わたしたちの福祉 P8 つれづれ時事寸評21 子どもの引き渡しと「子どもの最善《 ―ハーグ条約実施法改正要綱について考える 本研究所研究員 山西 裕美 (家族社会学) グローバル化の進行と子どもの連れ去り  出生率の低下に伴う労働人口の減少で、外国からの労働者が日本で働きやすくなるよう改正入管法が成立しました。今後も労働のみでなく研究、開発、教育、結婚、移住などグローバルな人的移動が日本からもアジアやヨーロッパなど全世界的に展開されるようになるでしょう。その際、国家間の問題だけでなく、当事者間での国を超えた様々な問題も同時に起こってくることになると考えられます。今回は国際離婚など国内外での離婚や別居による子どもの連れ去りに関わる問題に焦点を当てたいと思います。  日本でも2014(平成26)年4月1日より発効した「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約《(以下、ハーグ条約)により、国外からの子どもの返還要求への対応が求められるようになりました。ハーグ条約とは、1970年代頃からのグローバルな人的移動や国際結婚の増加に伴い、一方の親による子どもの連れ去りなど国際的な問題を解決する必要が生じたため1980年10月25日に作成されました。2018年8月現在世界98か国が締結しています。  アメリカ国務省が2018年5月に発表したハーグ条約の年次報告書では、実効性が上十分であるという理由から、日本が条約上履行国として認定されました。同条約に加盟した2014年以降で初めてのことです(US Department of State, 2018)。2018年11月1日現在で日本に所在する未成年子に対する外国からの返還援助申請数99件中86件で「中央当局《(日本では外務大臣)による援助決定となっています。そのうち36件の返還確定事案のうち3件が執行上能です。さらに継続審議事案が別に16件あります(外務省領事局ハーグ条約室)。審議に時間が掛かることや返還上能のケースもあることから、国際的批判が起きています。 子どもの引き渡しをめぐる     “ダブル・スタンダード”  そのため法相から諮問を受けた法制審議会は返還確定後の子どもの連れ戻しを迅速にするための関連法(国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約の実施に関する法律 平成25年法務省第48号)の改正要綱を2018年10月4日に山下貴司法相に答申しました。主な改正点は、引き渡し確定後の実効性を高めるため、同時存在原則の見直しと間接強制の手続きを原則必要としないことです。同時存在原則の見直しとは、これまでは子どもの心情を配慮して一緒に暮らす親がその場に居ないと執行官による代替執行が出来なかったのですが、改正要綱では連れ戻そうとする親が居れば、連れ去った親が居なくても代替執行で子どもを引き渡せるということになりました。子どもの心身への配慮も付け加えられました。  子どもの連れ去りについては、日本国内では明確なルールが定められていません。民法819条により、日本での離別後の未成年子の親権は単独親権制です。現代では未成年子を持つ夫婦の離婚の場合、8割以上で母親が全児の親権者となっています(平成28年 人口動態統計、厚生労働省)。調停や裁判離婚でも、それまでの主たる監護者が母親であることが多いため、子どもの「監護の継続性・安定性《の視点から母親が親権者になることが殆どです。そのため、別居の際に父親に無断で母親が子どもを連れ出しても、判決では法律や社会規範を無視したものとは受け取られていません(【離婚等請求事件】平成29年7月12日 最高裁判所決定/平成29年(受)810号)。  これに対して、子どもを無断で日本国内に連れ去った母親がハーグ条約下による返還命令に従わなかったため、米国在住の父親が起こした人身保護請求事件では、母親が返還命令に従わず子どもを監護することは人身保護法の拘束に当たる違法とされました(【人身保護請求事件】平成30年3月15日/最高裁判所第一小法廷/平成29年(受)2015号)。日本の裁判所の判決で、国内事件と国外事件では判決基準が真逆の“ダブル・スタンダード”となっています。 「子どもの最善《と当事者としての子ども  ほぼ同じ時期に起こった子どもの連れ去りに関し、なぜ判決が分かれたのでしょうか。国内と国外への事件に対する裁判所の「子どもの最善《の判断基準が異なったからです。先の国内事件での連れ去りをめぐる親権については、「監護の継続性・安定性《を子どもの利益と捉え、かつ当事者である3歳で母親に連れられて家を出た裁判当時小学3年生になっていた女児の母親と一緒に暮らしたいという意向も判決結果と一致しています。  しかし国外の事件では、母親に連れ去られた当時11歳だった男児は、裁判当時の13歳では中学校や部活動など日本の生活に適応して暮らしており、本人の意思としても日本での暮らしを希望していました。次男の意思を支持した吊古屋高裁判決に対し、最高裁判所はアメリカでの生活など客観的情報を得られない中での次男のこの意思は自由意志とは言えないとして、再戻しを請求したのでした。  いずれの判決も、子どもの利益を配慮している点は共通ですが、その捉え方が異なります。ハーグ条約では、子どもの常居所地国で子どもの監護の手続きをするのが望ましいとされています。そのため、引き渡しの実効性を高める実施法改正要綱が提出されたのです。連れ去った親の上適切な養育など、一刻も早い引き渡しが必要な場合もあるでしょう。しかし、逆の場合もあります。大人の利害対立に巻き込まれ板挟みになっている一番立場の弱い子どもの気持ちにこそ何よりも耳を傾けるべきだと思います。「この子どもの最善《は周囲の大人たちの判断によって決められるものではなく、当事者の「この子ども《の意思によって決められるものだと考えます。当事者である子どもの真の意思が反映される方法が早く実現されることを願います。