福祉見てある記55 辺野喜集落の共同店を 基点とした地域福祉活動 本研究所研究員 仁科 伸子 (社会福祉学) ■やんばるに残る共同店  沖縄県国頭郡のやんばる地域には、集落ごとに共同店が残っている。共同店は、やんばるの村の交通の便が今よりももっと悪かったころ、海路で日用品を運んでくるやんばる船から必需品を購入していたが、あまりに高いので自分たちで共同購入しようと村の人々が出資して共同店を立ち上げた。国頭村奥集落にある「奥共同店」が公式な記録が残っている最初の共同店だったといわれている。奥共同店が開店したのは約100年前のことである。戦後70年経ちスーパーやコンビニ等ができて共同店は店を閉じたところもあるが、まだ国頭村では15軒が残っている。これらの店舗は、今も村の共同で運営されており、子どもが生まれて3歳になると出資者になる。共同店の運営者は、多くの場合村の会議で村人の中から選ばれ、決められた期間運営を任される。  最近は、やんばる地域は少子高齢化が進んで、人口が減少し、同時に自家用車で名護の大きなスーパーに買い物に行く若者世帯や、近代的な生活協同組合の宅配を利用する人も増加し、共同店はどこも存続の危機に瀕している。しかし、自動車に乗らない高齢者世帯にとっては、食料品や日用品を買うための重要な拠点であり、いつも決まった時間にやってきておしゃべりしていく人が来ないと、「どうしたんだろうね」と見に行くような見守りの役割もある。 ■辺野喜共同店で鬼餅づくり  2017年12月に国頭村の地域包括支援センターの担当者の方から共同店で自主的に高齢者の方々が活動されていると聞き、辺野喜共同店を訪れた。この日は、地域の高齢者が集まって、ムーチー(餅)を作っているという。旧暦の12月8日は鬼餅の日としており、ムーチーを食べると厄除けになるとされている。鬼餅の日には、これを作って、特に子どもの健康を祈ってお仏壇などにお供えしたり、食べたりする。ムーチーは、もち米の粉を水で練り、月桃(ゲットウ)の葉で包んで蒸したものである。お菓子屋さんではこの日はムーチーを買い求めるお客さんが殺到し、自宅で手作りする人は、共同店でモチ粉を買って、県外に暮らす親戚の分まで作って送るのだそうだ。  国頭村の地域包括を担当する役場の担当の方と辺野喜共同店に着くと、店舗の奥の広間に、既に時間前から10人ほどの80歳以上の高齢者と世話役の方々が集まって、山から採って来た月桃の葉をきれいに拭いたり、餅粉を練ったり、それぞれの持ち場で餅作りがスタートしていた。外では蒸し器のために大きな釜に湯が沸かされている。今日は、既に予約が入っており、みんなで作った餅は商品として販売される。日ごろデイサービスに通所している方も手押し車を押して、ムーチー作りにやってこられた。村の人々にとってムーチー作りは大事な行事なのだ。  世話役の方が、大きなボールで餅粉を練る。今日の餅は、プレーン、ピーナツ、紅芋、黒糖の4種類である。練られた餅をおばあさんたちが仲良く座って月桃の葉に包んでいく。ムーチーを包みながらゆんたくも進む。家族のことや、生活のことなど口々におしゃべりしながらムーチーがどんどん包まれてゆく。  この包み方にはコツがある。蒸したとき餅が葉からはみ出ないように、葉が小さい場合は、二枚重ねにして幅を広げて包む。参加されている方々は、長年の経験から包み方もきれいで早い。  つやつやした月桃の葉は殺菌作用があってよい香りがする。古老の話では、この集落では月桃に似たサンニンバーを使っているという。しかし、大和人には見分けがつかない。包み終わったムーチーを薪で火を燃やしているかまどで蒸しあげる。出来上がったムーチーは失敗作は味見されたが、ほとんどは共同店の予約販売商品になった。この日だけで400個のムーチーが作られた。実は、餅粉が共同店から売り切れて、誰かが買い置きを家に取りに行ってやっと注文数に足りた。昼ごろになって参加していた人々もそれぞれ自分の注文していた数を買って帰っていった。  地域の元気な方々が山にサンニンバーや薪を採りに行き、世話役が粉をこねて、熟練した高齢者が餅を包み、もう一人の世話役がこれを蒸すという役割が自然に出来上がっている。昔は各家庭で作っていたムーチーであるが、高齢化が進んで共同店での共同作業になったのである。これが地域に自然な形で根付いた介護予防事業として運営されていた。